宇宙ー火星と木星の間の宙域を、一隻の破壊された宇宙船が漂っていました。
船の名前はノーマッド号、内惑星連合(インプランツ)ジェイス財団所属の輸送船。
ノーマッド号は地球から火星に向かう途中で、外衛星同盟(アウトサッツ)軍の遊撃戦艦に撃沈され、木星圏へと漂流していました。
無防備だったノーマッド号は、アウトサッツのステルス艦から放たれた魚雷の一撃で気密性を失い、乗組員は急減圧で平服のまま宇宙に放り出されました。真空になったノーマッド号でただ一ヶ所、生鮮食品の貯蔵庫だけが呼吸できる気密性を保っていました。
貯蔵庫の広さは1.2m×1.2m×2.5m。
このわずかな空間で、たったひとりの生存者ーガラク・フォイルが生きるための戦いを続けていたのです。
「おい、くそったれの神様!聞いてるのか?俺を助けてくれ!」
「俺を・・・俺は・・・だれだ?」
「息が・・・・・・苦しい・・・空気が汚れて・・・」
「空気が要る・・・エ、エアタンクまでPWを・・・」
PWするには集中力が必要でしたが、酸欠で朦朧としたガラクにそれができたのは奇跡でした。
宇宙服用の酸素ペレットは、とうの昔に底をついていましたが、船体を支えるフレームには緩衝材のエアタンクが取り付けられていたので、ガラクはこのタンクを使って貯蔵庫の空気を満たしていました。
問題はタンクを取り外しても、中に空気が残っているかどうかバルブを壊してみるまでわからなかったことです。
貯蔵庫から取り込んで宇宙服に満たした空気で10分は呼吸できましたが、それはエアタンクを取り外して戻ってくるのにギリギリの時間ー
ガラクは5日に一度、この死のルーレットを続けていました。

35個目のエアタンクを無事回収して貯蔵庫に戻ったガラクは35回目のルーレットに挑戦します。
「・・・また生き延びた・・・これで5日はしのげるな」
今から1500年前には、ガラクのいる貯蔵庫と同じ広さの檻に、人間を数週間にわたり監禁する拷問がありました。
ーでもガラクはここで既に171日ものあいだ生存していたのです。

人類がPWで自由に世界を移動するなか、ノーマッド号の中だけが今のガラクにとって世界の全てでした。
宇宙服に備えられた時計機能だけがあらゆる概念を飲み込もうとする宇宙空間において時間という概念を教えてくれていました。

「それで俺は・・・オレハ・・・おれはだれだ?」

ガラクは宇宙服のポケットから1枚の紙片を取り出します。そこにはこう書かれていました。

ジェイス財団所属宇宙船 乗組員評価
ガラク・フォイル:AS‐128/127:006.
ノーマッド号 3等機関士 年齢:30歳
教育レベル:D
技能レベル:C
賞罰記録:なし
肉体的に頑健だが不活発、積極性は皆無。同僚と交友関係を持たず、コミュニケーション能力に欠ける。勤務態度に問題あり、注意力散漫。昇進を希望せず。
総合評価:Dマイナス

乗組員評価を読んでいるうちに船長や同僚の声がよみがえってきます。
『今度同じミスをしたら、エアロックから宇宙へ叩き出すぞ!まったく図体ばかりでかくて、船の空気がもったいない。さっさと仕事に戻れ!なにをぼんやり突っ立ってる、おまえはボーリングのピンか?』
『とろくさい奴だ、それでよく訓練学校を出れたな?もういい、エンジンの点検は俺がやる。おまえは便所掃除でもしてろガラク!』

「そうだ、俺はガラク・フォイルー3等機関士のガラク、雑用係のガラク、無駄飯喰いのガラク、無駄空気吸いのガラク・・・思い出したぞ、頭に酸素がまわってきた・・・だがこの評価を書いたくそったれの船長も、俺を笑った他のくそったれも、みんな死んだ。誰に文句を言われることも、どやされることもない、ひとりぼっちの太陽系横断ツアー。お楽しみに窒息ゲームのおまけつき・・・」
そう言うと、ガラクは怒りにまかせて壁を殴ります。
「おい、くそったれの神さまよ!171日目だ、ひゃくななじゅういち・・・」
貯蔵庫にガラクの叫びが響きます。
「俺をここから出せ。地球に連れていけ!今すぐ救命シャトルで飛んでこい!すぐにだ!!ステーキが食いたい!合成タンパクなんかじゃない肉汁のしたたる熱々のTボーンステーキだ!キンキンに冷えたメルカディアンビールも!」
ひとしきり叫びおえたガラクは床に寝転んでさらに呟きます。
「・・・アップルパイが食べたい。孤児院でシスターが焼いてくれたあのアップルパイを・・・一切れでいいんだ・・・」

「・・・ああ神さま。俺を見捨てないでくれ・・・」

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